「樋口宗孝という存在」もすでに4巻を迎えました。中盤くらいでしょうか、、
この記事からご覧になった方は1巻から読むとよりよい理解が得られるかと思います。
・1巻
・2巻
・3巻
東京で精力的にやった後は、プライベートも含めいろんな事があって丸4年で帰省。
音楽についてもいろいろ思うところあってのUターン。
結構悩んだけど、、、。
実家に帰る事を選びました。その時のタイミングでパーマネント的なバンドがなかったのも大きく影響してるかも。
東京といえど、ドラム不足はどこも同じでヘルプやったり、新しいバンドの立ち上げに誘われたり、、といろいろ声はかけてもらったんですが、しっくりくる音楽性はなかったかな。。
そして、のちにCRAZY SPOT 31が開業する土肥に返り咲いたわけですが、、。
ちょっとした、プライドっていうか、意地っていうか、、そういうので、地元行ったらバンドはやらない!って決めごとも自分のん中に作ったりして。(笑)
それでも年上の大先輩に誘われ、、誰かよく知らない人の結婚式の余興だったり、手伝って!って頼まれてやってみたら、幼稚園のお遊戯界の出し物だったり。。
正直、なんでこんなところでスティックを置きにいくようなドラム叩かなきゃいかんのだ!!!と思い、1年後くらいにはお誘いも全部断るようになりました。(笑)
そんなこんなで普通に過ごしてるときに、またしてもバンドに誘われたんだけど一度は断ったんだけど、衝撃的なギタリストに出会って、自分のルールを変えました。(笑)
こいつとならも一回バンドやってもいい!って思って始めたのが「INDIACA」当時、地元を揺るがす
ここでは、ツーバス・ツータム・ツーフロアーに、シンバルも8枚とまさに贅沢セット。(笑)
専用の練習場があったんで、ドラムも常設しっぱなし!
この頃のなごりで、いまだにスタジオでセッティング・バラシがメンドクサイ(笑)
この頃は、行ってすぐ叩ける、しかもセッティングが狂う事がない。そして、終わったら帰るだけ。。
ドラマーにはこれ以上ないって!ってくらいいい環境だったな~。
で、この頃からですよ!LOUDNESS、樋口宗孝を本格的に研究し始めたのは!、、、といいつつビジュアルの良さにつられてツーバスでしたが。。(笑)
SDI、CRAZY DOCTER、THIS LONELY HEART、IN THE MIRROR、CRAZY NIGHT、他にもアンセム、ホワイトスネイク、hide、ZIGGY、Helloween ANIMETAL etc・・・いろいろやりました。
野外ステージの使用許可をもらって
好き放題やってたから、、2時間とか2時間半とか(笑)
ワンマンステージをこなしてましたね~。(笑)
生涯で一番ドラム叩いた年代です!時すでに25~27歳くらい。
その後、インディカはなんとか、、とか13-3tとかにメンバーと変更と共に名前を変えて存続していくのです。。
そして、いよいよEARTHSHAKERのMarcyさんとの出会いへつながっていくのです。
この頃にはもうどっぷり樋口宗孝に浸かりきり、ワンバス・ワンタム・ツーフロアーというセットへ変わっていくのです。
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